腸を健康にしたい理由

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当ブログは腸の健康から全身の健康を作っていくということをテーマにしています。

私は、理学療法士として病院に勤務していましたが、現代医療の抱える「闇」に耐えかねて病院を辞めました。

「耐えかねて辞めた」というとネガティブな感じがしますが、「新たにやりたいことを見つけて、そちらに向けて動き出した」というとポジティブな感じがするので、後者に訂正します。

安定した病院での仕事を辞めてまで私が求めたものは、どうやったら人は健康に生きることができるのだろうという果てしのない問いへの旅でした。

 

今回は私が理学療法士として経験してきたことや、整体を通して人と向き合ってきて感じたことをお伝えしていこうと思います。

 

どうやったら健康に生きることができるか、という問いは究極には「いかに亡くなるか」という問いに通じます。

私の中で健康に生きるということは、死ぬ時のことまでを含めたものです。

私の理想の死とは「楽に死ねること」です。

なんとも抽象的かつ主観的かつ曖昧な表現ですが、これが現時点で私の理想の死です。

 
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理想の死は楽に死ねること

元来、日本では死に対して語ることは、タブーとまでは行かなくてもあまり良く思われてきませんでした。

そこには「死」に対して畏怖の念などもあってものなのかもしれません。

 

しかし、この日本人の死への感覚は医療において大きな弊害になっていると感じます。

恐ろしい「死」というものから逃れるために、現代医療は様々な手立てを尽くします。

あらゆる科学技術を通じ、医学的根拠に基づいて、1分1秒でも命が続くように手を尽くします。

 

それは「良いこと」のように感じるかもしれません。

その医療によって助かった人も大勢いるでしょう。

愛する家族を再び自分の目で見ることができ、おいしいご飯を食べたり、心地よく眠ることができるようになったかもしれません。

 

しかし、光の部分が強くなればなるほどに、その影も濃く濃くなっていきます。

死の淵から生還して再び元の生活を手に入れた人、その一方で、命はあるけど、意識はあるけど、寝たきりの人。

死の縁から生還した人に相対する存在は、死ではなく、寝たきりです。

 

寝たきりというとどのような状態を想像するでしょうか。

医療に関わる人なら分かりますが、寝たきりにもいろいろな「程度」があります。

寝たきりでも自分の意志を持って、精神活動をしている人もいます。

一方で、かつて「植物人間」という言葉がありましたが、そのような人も大勢います。

「植物人間」という言葉は、人にとっても差別的ですし、植物に対しても不適当な言葉ですからなくなって当然の言葉でしょう。

しかし、植物のように動かず、意志を持っているのか分からない人は存在します。

 

 

 

寝たきりで、何も話さない、食事も食べない。

ただ呼吸をして、心臓が動く。

栄養は鼻から入れられたチューブで入ってくる。

排泄物はおむつに出し、介助者が変えてくれる。

何を考えているのか、あるいは何も考えていないのか分からない。

 

そんな人は日本中に数多くいます。

 

そんな状態に自分がなったらどうだろう、どんなふうに感じるだろう。

あるいはその状態ではすでに何も感じないのか。

いやそんなわけはない…

辛いだろうか、慣れるのだろうか。

私はそんなことをぐるぐる頭の中で考えます。

 

怖いのはそういった寝たきりの人を、大量に生み出す医療と言う基盤がこの国にはあることです。

光の部分を手に入れるのであれば、闇をどうするのか考えていくべき。

 

私の中でその1つの答えが、健康寿命を延ばすことです。

人はいつか亡くなるものですが、その時まで健康でいられれば寝たきりの苦しみを味わうことはありません。

しかしその為には、若いうちから健康に気をつけた生活を送らなければなりません。

そして全身の健康のためには、栄養を吸収する主要器官である腸が健康でなくてはなりません。

 

当ブログはそんな腸の健康について考えた記事が沢山あります。

このブログを通じて1人でも多くの人が、健康な体を手に入れるための生活を送られることを切に望みます。

 

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